三ッ木の一冊
「競馬」(織田作之助)
少し古いかもしれませんが、織田作之助の「競馬」といふ
作品はいいです。
カフエの女給に惚れて同棲生活を始めた男が、女の乳癌による
壮絶な死を目の当たりにしたことをきっかけに競馬にのめり
込み、女の元情夫と恩讐を忘れて小倉競馬場で手を取り合つて
泣き叫ぶラストシインは秀逸です。
北野武の映画よりはるかに凄みがあり叙情すら漂わせています。
たぶん全集にしか収録されていない作品(解説は吉行淳之介
でした)でしょうから、競馬ファンなら図書館で借りてでも一読を。
「正午なり」(丸山健二)
丸山健二は、その対象を突き放した文体が、ヘミングウェイと比較されることが多い。
だが、丸山健二の内なるものは、ひょっとしたらヘミングウェイを上回っている。
この作品は氏が芥川賞を受賞後初の長編小説である。
長野の寒村から都会へ出てきた主人公が、挫折して故郷へ帰るところから物語が始まる。
実家へ帰ると父親から疎んじられ、それでもなんとか自分の生きる道を、
電化製品の修理という作業に見出すが、長野に残った友人の結婚に自らの性欲を抑えられなくなり、
再び都会へ戻ろうとする矢先に、婦女暴行事件を起こして逮捕される。
青春期のやるせない気持ちが、主人公を通して伝わってくるこの小説は、
三ッ木が若いころの愛読書であり、その後丸山の新刊が出る都度書店をのぞいたものだ。
丸山はエッセイストとしても抜群の手腕を持ち、長野に引きこもって長編を書き続ける姿は、
洞窟に籠る修行僧のイメージがもたれる。特に近著では複雑なストーリーを駆使し、
一幅の抽象絵画を鑑賞する趣のある作品を量産している。
このエネルギーは、他の作家の追従を許さないものであり、
三ッ木は丸山がいつノーベル文学賞を受賞してもおかしくないと思う。
「きみの鳥はうたえる」(佐藤泰志)
芥川賞にノミネートされること6回、遂に受賞することなく自ら命を絶った佐藤泰志の代表作になるでしょう。
佐藤は北海道函館に生まれ、シングルマザーに育てられた。
高校生時に有島青少年文芸賞優秀賞を受賞し、28才時に新潮新人賞候補となった翌年、
当該作で第86回芥川賞にノミネートされるも惜しくも次点となり、以後4回芥川賞にノミネートされるも
遂に受賞することなく生涯を終えた。
この作品は男の世界を描いているようで、実は青年のやるせない、甘く苦い青春を、
荒っぽいタッチで原稿用紙に叩きつけている。
近年になって映画化された、「そこのみにて光輝く」も同じく、青春はなんと残酷でむなしいものかという、
切ない気持ちを文章にして、訴えているが、ついに無冠の作家として名を遺した。
滝井耕作が芥川賞の選考委員であった時、「およそ芥川賞としての文章とは言い難い」といったのは、
あながち間違いではないが、芥川賞が文体を選考過程に重きを置いているとは思えず、
もし「きみの鳥はうたえる」で佐藤が芥川賞を受賞していたら、
その後の文壇地図は大きく塗り替えられていたのではないかと思った。
一読の価値のある作品であることは間違いない。
「砂の上の植物群」(吉行淳之介)
第三の新人として持て囃されて「驟雨」でデビューした吉行の代表作といってもよく、内容は所謂不道徳小説である。吉行の作品は娼婦との関わり合いを持つものが多く、本作も、主人公の友人の痴漢行為、主人公と津上明子という女子高校生との交際、津上京子とのSMプレイ、女性の自慰ショーなど、不倫という言葉が可愛く見える内容になっている。だが、それらの不道徳な部分を埋めて余りある抽象的な書き方が、作品自体を引き締め、単なるポルノ小説とは一線を画す効果を出している。
本作にはバウルクレーの作品が度々現れるが、その登場の仕方もひとひねりあり、絵画のタイトルから想を得た、作家独特の世界観が色濃くにじみ出ている一冊だ。
「非食記」(古川ロッパ)
軽演劇の役者が、戦時中あらゆる手段を用いて食物を得ようとし、
また、その味が細密に記されていて、傑作です。
その食べ様は、まるで何かに取りつかれているように日記で描かれていて、
鬼気迫るものがあります。
筆者は若くして糖尿病を発症しました。
大食漢ぶりが災いしたのですが、
意外にも死因は結核のようです。